インタビューの湯

日本一あったかいインタビューの湯_Vol.3

その心と愛は必ず相手に伝わっている

看護師:加藤まりえさん

切迫した救命救急の現場と使命

まりえさんは高度救命救急センターで働かれているということですが、お仕事について教えていただけますか。

今は都内の大学病院にある高度救命救急センターで看護師をしています。もともと新卒からは5年間手術室の看護師として働いており、いまは救命の分野に従事しています。

私の病院は都内の中心部を管轄する最大の3次救急施設として、命の一刻を争う患者さんが子どもから大人まで運ばれてくる場所です。救急車が多い時で毎日数十件運ばれてきて、病気や事故、事件、熱傷など様々な症例の方が来ています。私はその場所で、救急車到着から心肺蘇生治療、手術などの治療から命を取り留めた方々が入る集中治療室での業務まで担当しています。

ここ最近話題になった医療ドラマの原作となるような現場にいるのですが、テレビや映画の影響を受けて憧れを抱いて入職してくる新人さんもたくさんいます。ただ、テレビのようにそんなきらきらした世界ではないです(笑)

生きるか死ぬか、心臓が止まっていたとしても助かる命はあるので、患者さんたちの貴重な命を、私も全身全霊をかけて全力で命を懸けてひとりひとりの命を救う場所だなと思い毎日仕事に励んでいます。

その現場で日勤も夜勤もしています。芸能人の自殺したニュースが流れれば、後を追って自殺する若者からお年寄りまでが一気に運ばれてきたり、大きな事件や事故が話題に出るとその事件の容疑者と被害者の方、大きな事故の様々な状態の患者さんまでどんどん運ばれてくるので、最初は衝撃を受けることばかりでした。

お昼休みに職場の休憩室にあるテレビを見ていて、都内で大きな事故があったんだなと思うと、午後にはその患者さんたちが運ばれてくることもありましたし、現場に直接招集がかかる「DMAT」や「ドクターカー」の出動もたくさんあります。他の病院では治療が困難で特に重症な患者さんが選ばれ、運ばれてくるような現場です。その場でゆったりと考えている暇はなく、一分一秒を争う判断と集中力、技術と精神力、寄りそう心の土台、スピード感や現場での感覚、ドクターやその他医療者とのコミュニケーションと瞬間瞬間の息を合わせていく絶妙な能力、患者さんご家族への関わりまで……とにかく多岐にわたる能力と技術、磨かれた人間性が必要な現場だと日々実感しています。

まだまだ自分自身足りないところばかりですが、毎日私が学ばせていただきながら仕事しています。

大変なお仕事でも続けられる理由や、やりがいはどのようなところにあるのでしょうか。

救急車で運ばれてきた時点では、意識もなく心臓も止まっていて人工呼吸器や24時間の透析で命を取り留めていた患者さんが、日々私たちが施す医療を通して回復されることもあります。元の生活に戻れるほど大きく回復する方も、そうでなかったとしても患者さんの臓器ひとつひとつ、指の動き1つ、目の動き1つが良くなるだけでも私はとても嬉しいです。

この世に生を受けている人ひとりひとりの命の救いに私は大きい小さいはないと思っていて、どんな小さなことだとしてもその人の命、生きる過程に携われること、その人が快方に向かう過程に少しでも携われることが、私の使命としてとても価値あることだと思っています。

「命の救いと生きる過程」に携わるという使命感を持って働かれていらっしゃるのですね。看護師になると決めたきっかけや経緯があれば教えてください。

自分が5歳のときに数か月間入院していたことがあり、小児科の看護師さんにとてもお世話になったことがありました。そのときに担当してくれた看護師さんに憧れてから、ここまで一度もぶれることなく看護師を志して、看護師になりました。自分の病気を良くなるようにしてくれたことにももちろん感謝はありますが、子どもながらに、心に近く寄り添い、分かってくれ、支えてくれた看護師さんの存在が今も忘れられません。

また、カトリック系の中高に通っていた私は、高校1年生のときにアフリカのシエラレオネの子どもたちに手作りのぬいぐるみをプレゼントするボランティアに参加しました。その際に不器用ながらも自分が作り、送ったぬいぐるみを最高な笑顔で抱きしめている子どもの写真が送られてきたことが自分の人生を変えるきっかけになりました。

私の足りない力でも途上国の子どもたちを笑顔にできるならば、現地に行って自分が力になりたい!と思い、そこから途上国で救いを必要としている人たちを救う看護師を志すようになりました。その夢を神様が叶えてくださり、2018年にはマダガスカル共和国で手術室看護師として働いていました。

患者さんのケアに込めた思い

普段のお仕事の中で、神様の働きかけを感じたエピソードはありますか。

今の現場では、死ぬか生きるかの救いの場所なので、人工呼吸器をつけている方や意識の無い方が大半で、直接コミュニケーションをとることができる患者さんは少ないです。そのように言葉を交わせる状態でない患者さんだったとしても、その方に携わるケア、言い換えるとそのケアに含まれる言葉にできない思いや心、つまり愛って一つ一つしっかり相手に伝わっていると私は思っていて。どんなに反応がなかったとしても、教会の牧師先生から習ったように、牧師先生がされたように、愛をこめて一つ一つ丁寧に言葉をかけて、ケアをすることを心掛けたり、患者さんの胸の音を聞くときや手を触れるとき、目を閉じてその方のために一言お祈りするようにしています。

あるとき、意識がなかった患者さんの容態が回復して人工呼吸器が取れ、点滴やチューブが少しづつ抜けて食事を自分の口で食べられるようになり、話ができるようになった方がいました。たまたまその方の前を通りかかったときにその患者さんが私を手招きして呼ぶんです。そしてその方の横に行くと、「あなたは唯一優しくしてくれた。だから元気になった。嬉しかった。」という言葉をもらいました。

私はびっくりして、「え?あなたが意識なかったとき、私が接したこと覚えていらっしゃるのですか?」と聞いたら「全部覚えてる。あなただけだった。」そう言って下さった出来事がありました。

この出来事を通して、目に見えない何気ない言葉かけやその心と愛は必ず相手に伝わっているし、その人の大きな入院生活の中に深く刻まれる大事な救いの一つなんだということを実感しました。

牧師先生を通して教えていただいた、神様が願われ喜ばれる「患者さんや人への接し方」をいつも実践させてもらっている現場であり、私自身が神様の貴重な働きかけを感じるしかない毎日を送れることに感謝しています。

愛を込めて丁寧にケアされるという実践が、患者さんにも伝わっていたのですね。切迫した現場でも学んだことを行動されていることが本当にすごいと思います。まりえさんのように看護師を志している学生さんにメッセージをお願いできますか。

救命センターを希望する方、海外で働きたいと思う方は一定数いると思うのですが、「どこでどのように働きたいか」に対する思いに加えて、「自分はどのような看護師になりたいか」という面を必ず考えることをお勧めします。

どのように患者さんに接することができる看護師になりたいのか、自分はどのような人として相手を救いたいのか、今から考えることで、周りより一歩先を行く深さのある看護師になると思います。

まりえさんにとって「あったかい」って何でしょうか。

「あったかい」って、うわべや形式ではなく相手への真実な関心と愛なのかなって思っています。形式的に優しい言葉をかけてあげたり、助けてあげることって多くの人ができるかもしれません。

でも何か特別にこの人に優しくしてあげようとか、そんな心ではなく自然とその人の横で言葉にしなくても寄り添い、隣でいつでも力になるよ、っていうその受け皿というか心というか、そういうものをたくさん持った人が教会にはたくさんいます。

そんな人たちがたくさん集まって自然にあったかさがその空間に生まれている、自分もその場所に入ると何か居心地が良いし、ほっと癒される、そんな場所って良いですよね。私はそれを教会の場ではもちろん、社会でも職場でもすべての人に施せる人になりたいと思っています。

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