インタビューの湯

日本一あったかいインタビューの湯_Vol.6

親子関係は近いからこそ難しい。両親と向き合うきっかけをくれた神様に感謝

映像編集者:村岡 志織さん

神様の視点を知って、知らないことにわくわくできるようになった

本日はインタビュー、よろしくお願いします。

お願いします。いやー、めっちゃ緊張しますね。

大丈夫ですよ(笑)普段の志織さんで、ざっくばらんにお話いただければOKです。志織さんは多彩な活動をされていますが、普段は話さない自分のことなどを教えてもらってもよろしいでしょうか。

うーん。知らない街に行くことが好きですね。わくわくすることが好きです。言語、異文化が好きで知らない世界に好奇心が湧きます。イベント系の会社で働いていましたが、このまま働き続けるのは違うなと思っていました。母の病気をきっかけに1年で仕事を辞め、母を看取りました。その後、かねてからの希望だった留学を経て、今の映像編集の仕事をしています。

元々、部活など親しい人の中では、お笑いやコントを考えて披露していました。でも、知らない人とは壁があって、無口だったんです。聖書を学ぶようになって、自分と人のことを考えるようになり、自分の知らない世界があることに気づくことができて。自分の中だけではなく新しく知ることを通して、知ること自体の楽しさと新しい自分の一面に気づくことができました。神様の視点を知るようになって、自分の世界観が広がったという感じです。

母親の心配が応援に変わった

無口だった時の志織さん、あんまりイメージつかないですね(笑)神様の視点を知るようになって、世界が広がって好奇心も旺盛になった。それって良い変化だと思うのですが、身近な親御さんからの反応は何かあったんですか。

私、幼い頃から鍵っ子で。一人っ子で両親は共働き。父親も病気がちで、母親が看病する時もあり、家に帰っても両親がいなくて外に遊びに行ったり友達を呼んだりしていました。自分の中では家がつまらないから友達といる方が好きでした。親も私が心配しないように振る舞っていたので家では暗くいたくない思いもあり、親が大変そうにしている姿にあえて関心を持っていなかったんだと思います。

でも、教会に通うようになってからは、自分から関わることで喜んでくれるのではないかと思い、自分が出る教会のイベントに誘ったり、家でも話すようになりました。自分の価値観も共有するようになって、親がどういう価値観を持っているのか知りたいと思うようになって会話が増えました。仲良くなったと思います。

親御さんとの会話が増えたんですね。イベントも一緒に行ったりとか。でも教会に通っていると伝えた時、親御さんはびっくりされたんじゃないですか。

最初は不安がられて心配されました。私は自分がやりたいと思ったことに集中するタイプで、休憩とるのを忘れたり、気づいたら根詰めているという性格なんですよね。だから、母親としては娘がやりたいことを持ったことは喜んでくれていたけれども、「宗教!?」といった抵抗感を持ってしまうところがありました。

私は聖書を学ぶ中で、宗教という言葉の意味が日本でのイメージと違うのだなと分かって。自分の人生を考えさせてくれるもので、自分の信念・軸のように信じていくものを持つことだと思うようになっていました。

親は宗教の人が悪いことをしたというところで、宗教と犯罪しか繋がっていなかったんですが、世界的に見たら、宗教つまり信仰は自分の軸・信念として持っていくものです。でもそれを知らないから、母親は不安で怖いのではないかなと思ったんです。自分がどういう人から教わっていて活動しているのかを知ってもらおうと思って母親を教会のイベントに呼んでいました。

母親と過ごす時間を大切にしようと思うようになったことが伝わったり、親の前では見せない姿や教会の中で娘が楽しそうにしている様子を見たりすることで、母親本人も結局すごく応援してくれるようになりました。

神様が与えてくださった母親と向き合う機会

そんなお母様ですが、早くに亡くなられてしまったとお伺いしています。お母様との思い出を教えてもらってもよいですか。

今思えばすごい母親だったと感じています。神様が命を救ってくださったことがありました。父親が舞台俳優をしていて、母親は看護師で母が家計を支えていました。そんな中私が小学生の時に母親が癌になって、ステージ4だったんです。後から聞いた話だと、その時余命2年だと言われていたそうです。それでも仕事を続けて、父親も心臓が悪くて入院が重なって、そのような中で育ててくれていました。そこからずっと生きて大学まで行かせてくれて、生きてくれて。母と話したときに言っていたのは、「自分の病気が病気じゃなかった。父の面倒を見ないといけなかったし私を育てないといけないから自分の病気を忘れるくらいだった」と言っていました。

私が大学生の時に信仰を持つようになっても、自分がやりたいことばかりやっていました。友達といる時間を優先して、イベントしたりボランティアしたりする時間を優先してたんですね。母から病気が辛いと聞いたこともなかったし、治療している母親、体が悪い父親が普通だったから、そこまで関心を持ってあげられなかったところがありました。

でもそんな時、「お母さんのご病気大丈夫?」とある教会の先輩から声をかけられて。家で助けてあげたりしているのかと言われたのですが、自分としては、それは必要ない、何かしてあげなくても大丈夫ではないかという気持ちがありました。

そしたら、一回怒られたんです。「信仰持つ持たないの前に、人として、人格者として親を大切にすべきだよ!」と言われました。その時神様が人を通して教えてくれたのだなと思います。

自分を愛し人のことも愛しなさいと聖書を通して学んでいたから、色んな人と関わるようになって努力していたつもりだったけれども、一番近い親のことを考えていなかったことに気づいて。一番近いのに関心を持って愛してあげることができていないことを悔い改めるようになりました。怒られたことも神様の愛を感じました。

そこから母親のことを考えて祈るようになりました。今まで余命2年と言われながらも、今まで生きられるように命を繋いでくださっていると感じて、神様の愛も伝えてあげたいと思ったし肉体が亡くなっても希望があるんだよということを伝えたくて、母親と一緒にいようと向き合うようになりました。

その時まで母から言われたことはなかったですが、自分の意識が変わって接するようになり、母親も感じ取ってくれたのか、聖書を学んでみようと思ってくれて学ぶようになりました。亡くなる約2年前です。

最初は娘が何をしているのか?で始まったけれども、母自身も死というものを考えて準備していたと思うのですが、それもあって聖書を積極的に学ぶようになり、腹を割って話すようになりました。

最後入院していた期間があったんですけど、病気の人ではないような表情で母は笑っていて。聖霊様が隣に一日中いてくれた気がすると話していたり、夢に笑顔のイエス様が出てきたと話していたりしました。

死ぬことに対しての不安や恐怖、私を残すことに対する不安もあったと思いますが、教会の人たちがいるから大丈夫ねと言ってくれていました。私も母に「霊で生きて天国で生きるから」と伝えて。だから自分自身も希望がありました。

最期、母親を看取る時も教会のメンバーたちが来てくれて賛美しながら囲まれて逝きました。その時私は24歳でした。

母親も神様のことを知って神様の愛を分かったし、また、私が周りにも頼れる人がいるということを分かって安心したと思います。死んだら終わりじゃない、天国、霊の世界があることを分かっていたから私も心を強くできました。周りの人も心配してくれたけれど、自分の中に希望があったから良かったというか。

肉親がおばあちゃんだけなので、今も周りから心配されます。ただ自分としては、いつもやりたいことがたくさんあるし、もし母が今生きていたらしてあげられたであろう親孝行をできない分も神様のためにやろうと考えて、「お母さん見といてね、親孝行できなかった分、他の人に与えられるような人になるからね」と思っています。

向き合うきっかけをくれた神様。そして、感謝と愛を受け止めてくれた母親にも感謝

最後、伝えたいことがあれば教えて頂ければと思います。

神様に感謝しかないです。家族との関係性もそうだし、母親にも父親にも神様にも感謝しています。両親と向き合うきっかけをくれたことがありがたいです。親子関係って近いからこそ難しかったです。本音で話すのも優しくするのも難しいし、友達にはできても一番すべきである家族になかなかできない。でも、神様の大きな考え方、大きな愛、自分のことも両親のことも大切に思っている大きな視点がなかったら、うまく話せないまま向き合えないままお別れしていたかもしれないですが、大きな心を神様からもらったし、そういう視点を聖書から学びました。最初はうまくできなくても、母に愛して感謝したり努力してみようというきっかけをくれたことに感謝しているし、それを受け止めてくれた母にも感謝しています。

あったかい愛をもらってそれを親にも伝えられて本当に感謝しています。

2013年教会企画での村岡さんとお母さま(安達太良山にて)

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