神様は力と御力だ(御言葉と祈りの力)

万物に必要な力

宇宙に存在する、すべての万物は”力”で存在しているように、人間も”力”で存在しています。人間は強いようでも弱く、戦場の英雄のように勇敢に行なっていても、困難が生じた時、自分が望んでいた通りにならなかった時、不安な時、限界を感じる時には力を失ってへたり込むようになります。力を失ったら、平素よくできていたこともできず、何もやりたくなくなります。そうしているうちに心配ばかりが積もっていき、更にへたり込んでしまいます。信仰も同様に、力がなければ御言葉も耳に入らず、祈り・讃美・御言葉を悟ろうとする努力や実践もしたくなくなります。しかし、続けて力を失った状態にしておいたら、何もできません。このような時こそ、神様からの力を得て、大変でも自分がすべきことを行ない、自分を守り、各自の生をよく生きていくことが必要です。

私たちに必要な力

人々は寝る時、食べる時、成功する時、自分が願っていた通りになった時など、多くのことを通して力を得る事ができます。しかし、世の中で受ける力だけでは、また限界が来て倒れるようになるので、人生を力強く続けていくことは難しいです。人は誰でも、根本の力である”神様の力”を受けることが必要です。神様の力とは、神様の生気、すなわち生命力です。創世記2章7節にあるように、神様の生気が入れば、生き返る命の御働きが起こります。人は基本的に精神と考えで存在するので、神様は心と考えと精神、霊魂に力を下さることで、根本的に人間を生かしてくださいます。だから、神様の力は”心と考えと精神の力”であり、”霊の力”と言えます。

御言葉と祈りの力

神様の力は、神様の御言葉と祈りを通して最も力強く入ってきます。御言葉は神様であり、祈りは神様との対話だからです。最も根本的な力は、”三位とイエス様の力が自分に臨むこと”です。その力は、”私たち自身の力”ではなく、”三位とイエス様が自分を着て行なわれる力”だから、本当に強力です。三位とイエス様の力が自分に臨むようにすることが必要です。「ただ神様の力が来るだろう」と言わず、必要な分を願い求め、力の根源者である三位一体が共にし、力をくださるようにと、毎日祈ることが重要です。私たちが、神様がくださる力の必要性を感じ、神様の前に進み出て求めることを、神様は願っていらっしゃいます。
状況が困難でも、立ち止まっていたら、力が来ません。何か問題があっても、どんどん行なってこそ力が来ます。何か問題があるからといって心理的にくじけず、そんな時であればあるほど一層三位に感謝し栄光を帰し、御言葉と祈りで神様の御力を受けて、三位とイエス様にぴったりとくっついて元気よく行なっていきましょう。

2022年10月16日主日の礼拝
本文
イザヤ書12章2節