私はぶどうの木、あなたたちは枝だ

聖書における比喩の御言葉

イエス様は、「”神様”は<農夫>、”イエス様”は<ぶどうの木>、”神様を信じて従う人たち”は<ぶどうの木の枝>」に譬えて、比喩で話されたことが聖書に記録されています。木の枝は、木と繋がっていてこそ、木から栄養・水分を吸い上げて実を結ぶようになります。一方で、木と離れたら、枝に水分が通らないので枯れるようになり、実を結べません。このように、イエス様は「私と人々が繋がって一体になっていてこそ実を結び、人々が私と離れたら、実を自ら結ぶことはできない」と仰いました。これは「ぶどうの木に譬えた人、すなわちイエス様と絶対に一体になりなさい」という比喩の御言葉です。
神様、イエス様と心・考えが一体となって行なうことで、行ないの結果である実をどんどん結ぶようになります。神様は、実を結ばない枝は取り除き、イエス様に繋がっていて実を結ぶ枝はもっと多く実を結ばせるために手入れされます。良い木は良い実を、悪い木は悪い実を結ぶように、良い人たちは行ないが良く、悪い人たちは行ないが悪いので、行ないを見れば、どんな人なのか判断できます。聖書を何度も読み、比喩を正しく解釈することが重要です。

良い実とは

私たちが結ぶべき “実”はたくさんあります。その中でも、「自分の罪と矛盾を悔い改め、考えを清くすること」、「義を行なう(神様に御言葉に従って生きる)こと、「平和、忠誠、慈しむこと」、「人々に福音を教えて伝道し、顧みること」が重要な実です。また、「祈ること」、「賛美すること」、「神様に栄光を帰すこと」、「逆境と試練に打ち勝つこと」、「肯定的な考えで忍耐し、神様の目的を見つけること」、「サタンと暗闇を退かせること」、「神様、イエス様と一体になること」、「舌を謹んで、完全な言葉を話すこと」、「信仰を堅固に守ること」、「聖書を読み、知識を得ること」なども、実を結ぶことです。各自、自分の行ないを点検し、どのような実を結んでいるのか、確認することが大切です。

実を結ぶことで得られる祝福

イエス様は「あなたたちが私につながっており、私の言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるが良い。そうすれば与えられるであろう。」と仰いました。「神様とイエス様と一つになれば、与えても自分のものだから、思う存分与えてくださる」ということです。また、聖書では、「ぶどうの木の枝が実を結ばなければ、枯れた枝なので、集めて外に捨てたら人々が燃やす」と書かれています。これは、私たちが神様とイエス様と一体になって様々な信仰の実を結ばなければ、枯れた枝と同じで、神様から自ら離れるようになる、ということです。
御言葉の主人、根本者はいつも神様です。実を結ぶためには神様と一体になりましょう。神様とイエス様と一体になって実を結んでこそ裁かれることがなく、永遠に神様と一緒に生きるようになります。

2023年2月19日主日の御言葉
本文
ヨハネによる福音書15章1~7節