心の畑を肥沃な畑につくりなさい

『心の畑』を肥沃な畑につくる

人の心は畑にたとえることができます。どんな畑であっても、石や茨、雑草を取り除いて耕せば、肥沃な畑になります。同じように人の心も、どのような状態であっても、悪いところは取り除き、つくり続けることで良い心に変えていくことができます。
神様は「外見」ではなく「心」をご覧になります(マタイ5章8節、サムエル上16章7節)。どれほど顔や体が美しくても、心が良くなければ、その心ゆえに失敗することもあります。一方で神様は、心がつくられた人を選んで用い、その人がつくったとおりに使命と祝福を与えられます。
だからこそ肥沃な畑をつくるように、毎日絶え間なく自分の心を磨き続けることが大切です。

『心』と『考え』をよくつくり、『行ない』につなげる

人は心が「やりたい」と思えば、大きなことも喜んで行ないます。しかし、心が乗り気でなければ、小さなことさえ行ないません。
人の心と考えは受ける刺激によって変わりやすく、喜んで行なっていたことであっても、気分を害したり自分の考えに固執したりすることで、すべて投げ出してしまうことさえあります。そのため、自分の心と考えをよくつくり、神様の考えに照らしてよく吟味した上で行動することが大切です。
神様は人を力で従わせるのではなく、自ら悟って良い方へ行なうようにと助けてくださいます。
「心の畑」がよくつくられていてこそ、信仰においてもよく行なうことができます。単に心で願うだけでなく、実践を通して自分の心をつくることが必要です。

『行ない』によって「心」の本質が現れる

人の心は、その人の「行ない」によって現れます。特に困難に直面した時には、状況によって左右されない真の心であるかが試されます。
純金は汚れても洗えば再び輝きますが、内側から腐ったものは使うことができません。同じように、「外側」がどう見えるかではなく、「内側」の心がどのようなものであるかが大切です。
どれほど長く神様を信じていても、心がつくられていなければ、困難の時に離れてしまうこともあります。しかし、「心の畑」が整っていれば、神様から与えられるものを正しく受けることができます。
外側を整えることに留まらず、内側である心を善良につくり上げていくことがとても大切なのです。

<引用聖句>
マタイ13章3~9節:イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」
マタイ5章8節:心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう。
サムエル上16章7節:しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」

2024年5月19日主日の御言葉
本文
マタイによる福音書13章3~9節