インタビューの湯
日本一あったかいインタビューの湯_Vol.5
「関心を持つこと」を通してあったかい教会に
会社員:森永 善治さん
聖書との出会い
本日はどうぞよろしくお願いします。はじめに、善治さんがいつから信仰を持ち始めたのかについてお聞かせください。
大学1年生の19歳からです。1995年の4月に大学に入学し、バレーボールサークルに入部しました。そこで同じ学年の友人の中に聖書を学んでいた人がいて、その人から「聖書学んでみない?」と言われたことがきっかけで学び始めました。
もともとカトリック系の幼稚園に通っていたこともあり、何となく神様やイエス様がいるんだろうな、と自然と思っていました。幼稚園ではお祈りもしましたし、教会では神父さんが聖書の話をしてくれていたので、聖書を学ぶことに対する抵抗は少なかったです。
ただ、今通っている教会で初めて、ペテロが魚を釣った話についての御言葉を聞いた時、今まで教わってきたものと全然違う聖書の話だったことに驚きました。聖書で「奇跡」という一言で解決されていたものが「ただの奇跡ではなく、現実的な深い意味のある話」なんだと初めて知りました。
それから聖書を学ぶことが面白くなり、「聖書ってこういう読み物なんだ」というのがわかり、それから毎日のように聞くようになりました。
そうなんですね。もう既に聖書を学ぶ土台ができていたんですね。では次に、これまでの生活の中で神様を感じた体験についてお聞かせください。
幼稚園に通っていた時のことが印象深いです。幼稚園の友達と歩いていたとき、ふと空を見たら、雲の上に神殿が見えたんです。柱があって、ソロモンの神殿のようなものが雲の上にあるのが見えて、隣の友達に「え、あそこに神殿があるよね?」って聞いたら「え、どこ?」と。友達には見えていなかったのですが、私にははっきりと見えました。子供ながらに「神様を信じているから、私には見えたのかな」と感じる経験でした。
仕事をする中での信仰生活
神様と目と目が合ったような素敵なエピソードですね。少し話は変わって、善治さんは職場経験が長いと思いますが、仕事をする中で信仰生活はどのようにされていますか。
今まで上司が変わることは多かったのですが、その度に上司の方を含め、人間関係や仕事の環境のためにお祈りすることが大切だと感じます。会社では、上司によって仕事環境が変わることがありますから(笑)
仕事量が多くて大変なときもありますし、相手と話がかみ合わず、大変な状況になることもよくあります。しかしその都度、問題が解決できるように祈ろうと意識してきました。
「多様性」を受け入れること
問題にとらわれず、祈りで解決することが大切ですね。教会内では善治さんはご年配の方々と接する機会が多いと伺いました。善治さんは、信仰を持つ上で年齢は関係ないと思われますか。
何事にも、自分にとってのタイミングがあると思います。
早くから神様に出会い、その信仰で社会人生活を送る方もいれば、60歳や70歳になってから信仰を持つようになった方も私の周りにはたくさんいらっしゃいます。一方、若くして聖書と出会っても、逆に受け入れられず、信仰を持つことができない方もいます。
私のように信仰を持つ人もいれば、大変な思いをし、様々に経験してきたからこそ救いの価値を発見する人もいます。最近、多様性という言葉をよく聞くようになりましたが、主真愛教会の方々も様々な個性を持ち、色々な状況の中で信仰を持つようになった人達が集まっている。それがこの教会の味であり、良さなのではないかと思います。
確かに。多様性がある方が強い組織になりますからね。
2000年前にイエス様は、当時見向きもされない人や、ユダヤ人と交流を避けられていたサマリアの女に声をかけて神様の話をしました。イエス様を通して神様は多様性を広げていたのだと聖書を学んで感じました。ただ、イエス様一人ではできません。だからイエス様は弟子たちを育て、教育しました。その後、使徒の時代が来たわけです。
私たちの牧師先生がされていることも同じだと思います。私の教会では多様な人が聖書を学んでいます。そこから多様性が生まれ、教会の土台が作られているのだと感じます。
一方で、多様性と同じく大切なものが「心の器」です。多様な意見を聞いていると、「この人の意見も、あの人の意見も受け入れなければいけない」と感じ、ついつい自分の意見を引っ込ませてしまうことがあります。しかし、本来は多様な意見を受け入れつつも、最終的には神様の御心に沿って生きることが大切なのです。そのためには多様な人の意見を受け入れ、神様の御心に沿える大きな心の器が必要だと私は思います。私はそんな大きな心の器がほしいですね。
それはとてもわかります。一番強い生き物は「変化し続けた」生き物だと聞いたことがあります。ただし、変化を受け入れられる心の器が必要です。そういった心の器を作らないと時代の変化に対応できず、淘汰されてしまうのだと私も思います。一方で、多様性は社会でも広がりつつありますが、日本では「信仰をもつ」という価値観はどうしても受け入れられていない気がします。
日本では宗教において偏見が強く、受け入れられていないというのは同感です。信仰を持っている私が言いたいことは「ぜひ教会を見に来てください」ということです。実際に見ていただくことで伝わるものがあるのではないか、と思っています。
教会は開かれた場所ですから、多くの人に見に来てほしいですね。では最後に、主真愛教会のテーマとして「あったかい教会」というのを掲げています。善治さんにとって「あったかい」とは何ですか。
「関心をもつこと」だと思います。「愛は関心を持つことだ」と牧師先生もおっしゃるし、それが「あったかい」に繋がるのではないかと感じます。
なかなか一言が言えなかったり、声をかけられなかったり、「あそこで声をかけておけばよかったな」とか「帰り際にあの人に声をかけられなかったな」と、反省したりしていますが、関心を持って発するその一言は間違いなく「あったかい」のです。
私も実践して、もっと「あったかい」人になりたいと思います。