変化と条件対価だ
慣らしたとおりに楽を感じる人の体と心
人は、慣らしたとおりに心も体も行なわなければ、楽ではありません。それは、体質になり、習慣になっているからです。例えば、仕事に慣れている人は、何もしないで遊ぶよりも、働くことのほうが楽だと言います。運動する人は、登山や運動をすることが楽だと言い、休む人は、運動しないで休む方が楽だと言って、ほとんど運動をしません。食べ物についても同じで、自分の体質になっているとおりのものを食べなければ嬉しくなく、それが体質に合って楽だと言って喜びます。体質は、慣らすとおりに楽になります。悪い体質や癖が中毒になると、その生き方が楽になります。寝て食べる習慣がつけば、寝て食べた方が楽になるのも同じです。
このように、人はそれぞれ、体質として慣らしたとおりのことを行なうときに、楽に感じるのです。人によって、楽だと感じることは異なります。そのため、一人の人が好きなものを、そのまま標準や基準にすることはできません。
習慣が体質をつくる
癖は第二の天性です。続けて行なってこそ、体質になり、習慣になります。体質になっていない人にとっては、最初は不可能に感じられます。考えが強い人かどうか、体が強いかどうかは関係ありません。いくら強い体であっても、健康であっても、慣らさずに習慣づけておかなければ、できないのです。
よいことに慣らし、習慣づけて体質にしてこそ、物事は行ないやすくなります。反対に、悪いことに慣れてしまうと、それをやったほうが嬉しく、好きだから行なうようになります。
体質が受け入れず、よい食べ物であっても食べられないことがあります。また、よい環境であっても、いまいちだと言って、心も体質も合わずに生きられないことがあります。だからこそ、心も体も、よいことに慣らしておいてこそ、易しくできるのです。
神様が願われる生き方
自分の肉体が慣らしたとおりに生きていくことは楽です。しかし、ただなるがままに、楽なことばかり考えて生きるなら、神様が本来人間に願われているように生きることは難しくなります。人の肉の一生は暫しの期間であり、肉体の生が終わった後には霊が生きるようになります。だからこそ、霊のためにも、永遠なる神様の基準に合わせて日々の生き方を良く慣らして生きることが大切です。そうしてこそ、肉も霊も生き易く、救われて永遠に栄え、神様がいらっしゃる天国に行くようになります。
よいことだと分かっていても、体質になっていなければ、やりたくなくなり、楽に怠けて生きるようになります。その結果、成功の道を離れて、将来に苦労してしまうことにもつながります。
よい習慣に慣らすことは、何回も、数百回も行なってこそ、行ないも心も慣れます。一方で、悪いことは数回行なっただけで、すぐに慣れてしまいます。だからこそ、神様が願われることを基準にして、よい体質に慣らすことが大切です。神様を愛することに慣らしてこそ、行ないやすくなるのです。よい習慣をつけることを、心がけていきましょう。
- 2024年8月11日 主日の礼拝
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本文ヨハネの黙示録22章12~13節 マタイによる福音書16章27節